昭和56年4月24日  -  朝の御理解 ●①
 【入力者: 末永 満】

御理解第72節


 そこに気付かせて頂いたらおかげが受けられると言うのです。人を軽う見る、人間を軽う見る。ね。それではおかげはないと言われうのですから私共は確かしにその人の(?)を見ただけで軽く見たり(?)見たりするような場合があります。だから神様の氏子としての見方ができるということは、有難いのですけれども。中々神の氏子としての見方ができませんところに人間にそれぞれが差別をつける。そういうふうに人間の何というか、神性というかね、神の性というものを見極めたらお粗末にはできません。軽う見たらおかげはなしとこうもう断言しておられます。ですから私共がそれを大事にさせてもらうという心がけにならせて頂きますといわゆる、おかげがあるということになるんじゃないでしょうか。そんなささえなことからおかげはなしというおかげが受けられんでおるようなことでは(?)から。ね。
 おかげを頂きたいと思います。これは人だけありません。神様のいうならば御物又は、ここで言われる全ての事柄に御の字をつける。ということはね、それを尊重するということ、大切にするということなんです。ね。だから事柄でもこのぐらいなことと思うところにこれぐらいなことになるからによからんと、という教主金光様の御歌がありまよね。このぐらいなことだからよかろうと思うところに人間は過ちをおかしてしまうという御歌なんです。これぐらいなこになるからによからんと、何でしたかね。●①「これぐらいなことになるからよからんとこころ許すに過ちがおこる」というわけですね。これ何かはもう人だけではない、ものだけではない。いわゆる、全てをにいわゆる神様の御物のとして頂く。神様の御働きとして頂くのですからそれを軽う見てはならないというわけです。
 昨日福岡の伊藤さんがあの、参ってみえて今度の御本部参拝の時には椛目の貞男さんとあの席が同じでずっと話をしてまいりましたが、ほんとにおかげを頂いて信心になったという。皆さんも御承知けれども楽長の息子。私とだから従兄弟半になるんです。ああいうふうですからまぁ、まぁいうならば馬鹿と言えば馬鹿阿呆と言や阿呆としてしか見ない。私共も多いにしてその軽く見る(ていこ)がございます。ところが私より偉いですね。まぁ、いろんなものを作らせてもらい私よりも上手ですし、とても私共御将棋何かて全然知りませんけどあの人ピッシと道を知ってるんですからね。(?)とは言えないのです。ね。ですからその今度の御本部参拝の来戻り貞男さんと一緒で、でおかげを頂いたというところ。どこにまぁ、そのおかげを頂かれたかは分かりませんがその時に貞男さんが言われるのに今度椛目の共励会には伊藤さん是非おい出て下さいと言われたと。それでおかげを頂きたいと思うという意味のことを言われるんです。ですからあなたも(?)ですし、ですからまぁ、あなたの御都合ができる時はあのおかげを頂いて下さいというふうな申しましたがね。(?)まぁいうなら、そこの芯になる人が何かが進めてもらいいっぺん私もおかげを頂こうかというように言う人があるかもしりませんけども。ほんとに私は合楽の沢山の信奉者があるが、貞男さんにいっぺん椛目の共励会に来て下さいと貞男さんに言われたからほんとにそれがもし御神意であるかもわからないと言うのです。ね。貞男さんを通してあの神様が御誘いをして頂いておるのかも分からん。だからあんたがおかげを頂きたいというその願いをお取次ぎをさせてもらうからお繰り合わせを頂けたらどうぞお参りをして下さい。もうどうぞ泊りがけで来て下さいと言うてまぁ、昨日話したことでございます。
 ほんとにどこに御粗末御無礼ができるやら分からんのです。神様はわざわざそういう人を使うてだから私共がね、もうおかげになるおかげにならんと仰せられるごとおかげになる。これを引っ繰り返せばおかげになるということですから、そういうことでおかげにならんでおるようなことがありはせんだろうか。改まろうと思うたら直ぐんでも改まられ分かることでございますから一つおかげになるというその有り難うを身に付けたいと思うんです。ね。
 あれは(光明こうご)の話ありますね。大変(?)の強いお方であった。それで当時ははそのおん、温泉地代でしょうね。千人風呂をつくられて沢山な体の悪い人達がそこに集めてまぁ、養生することをまぁ、奉仕されたというのです。ある日もうそれこそ(?)流れるような乞食がやってきてね、それもまぁ、いうならば体から汁が出るようなそのが救いを求めてやって来てる時にそれを(?)体を清めてやりそれからもう足もはれものに自分の口でそれを吸うて(?)やられたという話があります。ところがその乞食こそ神様のまぁ、お姿であったと言うお話なんです。ね。ほんとになら貞男さんとこういう意味では皆が軽う見ますけれども、その貞男さんを通してどこに神様の働きがあっておるやら分からんのですから私はまぁ、自分の身内になりますから貞男さんがこう(?)話し話したい人おられるのを見たり聞いたりするとほんとにやっぱ嬉しいと思いますね。
 昨日私はその伊藤さんの話しを聞いて成る程おかげを頂く人は違うなぁと思いました。さー、伊藤さんいっぺん合楽あの、椛目の共励会に出て来て下さいと言うみたらそれを本気で受け止められるということが素晴らしいと思うんです。ね。そしてあの、お取次ぎを頂いておかげを頂こうとこう言うておられるですからね。まぁ、いうならばまぁ、言われても気にも止めない心にもかけないというのが普通。これはいうならば、軽う見たことになりね、いうならばこれほどのこ、このぐらいのことなるからによからんと、ということになったのです。そこからいうなら、折角神様との出会いができるようなおかげになるやも分からない。それを私共が無駄にしてしまうではおかげにはならんと仰る。
 人間を軽う見な。軽う見たらおかげはなしと仰せられるますからね、おかげにならんと断言されるということは又、それを私共が頂き実行させてもろうたらおかげになるということになるのです。ね。だからもうほんとに自分の心がけ改まろうと言ったらこんなに簡単なことはありません。一つ、もう心してこれは人間だけではありません。事柄だってもう御物だっていわゆる、御の字をつけて頂く。御事柄として頂くという頂き方はここんところへピッタリくる御理解ではないかというふうに思いますね。どうぞ。